
逆境を越えてプリンシパルへ ― 野口夏帆さんのストーリー

キャニオン・コンサート・バレエのプリンシパル、野口夏帆さん ― その素顔に迫るインタビュー記事が「Voyage Denver magazine」に登場しました。
バレエ体型ではないという逆境、そして日本での子ども時代に受けたいじめ。
それらを乗り越えながらも、「どうしてもバレエを踊りたい」という強い思いを手放さずに歩んできた――。
野口夏帆さんのインタビューを読みながら、その言葉ひとつひとつに共感し、励まされる思いがしました。
記事の内容を、日本語で抜粋してお届けします。
自己紹介
私の名前は野口夏帆と申します。現在、キャニオン・コンサート・バレエのプリンシパルダンサーを務めています。
日本で生まれましたが、両親の仕事の都合で11歳までイタリアで育ちました。その後、日本に戻り、学業を修了しました。大学では芸術学部でバレエを専攻し、卒業後はアメリカ・サンディエゴのシティ・バレエで初めてプロとしての仕事を得ました。
その後、ニュージャージーやインディアナのカンパニーでも踊りましたが、パンデミックの影響で日本へ戻ることになりました。
そんなとき、キャニオン・コンサート・バレエが新しいプロフェッショナルカンパニーとしてオーディションを受けました。
幸運にも採用され、今はキャニオン・コンサート・バレエでダンサーとして4年目を迎えようとしています。
生い立ち
私がバレエを始めたのは8歳のとき、イタリア・ミラノの小さなスタジオでした。
ただ、私はいわゆる「才能に恵まれた子」ではありませんでした。バレエの世界では身体的に求められる理想的な条件がありますが、私はそれをほとんど持ち合わせていなかったのです。先生からもプロになれるとは思われず、主役を任されることもなく、生徒として真剣に扱われることすらありませんでした。
それでも、なぜか「どうしてもバレエをやりたい」という気持ちだけは揺るぎませんでした。
文化的なルーツ
両親は日本人ですが、私は子ども時代をイタリアで過ごしたため、イタリア文化は私の中で大きな部分を占めています。イタリア語も話せますし、物事の考え方にもイタリア的な影響が色濃くあります。そうした自分を誇りに思う一方で、思春期を日本で過ごしたときには文化やコミュニケーション、振る舞いの違いにずいぶん苦労しました。
見た目は日本人そのものなのに、振る舞いは周りの期待する「日本的な女の子」とは違っていたので、学校では「変わっている」「失礼な子」と思われ、いじめられたこともありました。
これまでの道のりと挑戦
これまでの歩みは決して平坦なものではありませんでした。先ほどお話ししたように、私は文化の違いや社交面での戸惑いから、学校でいじめを受けたことがあります。そんな中で、自分を自由に表現できる場所がバレエでした。
バレエ団には伝統的に「理想」とされる体型や身体的な条件があり、私はそのどれにも当てはまらなかったのです。しばしば「背が低すぎる」と言われましたし、あるオーディションでは「あなたはプロにはなれないからバレエはやめた方がいい」とまで告げられたこともありました。
それでも、少しずつ時代は変わりつつあるのではないか、と今は感じています。フォトショップやAIの技術によって「完璧な理想像」はすぐに作り出せる時代になりつつあります。だからこそ、これからは一つの理想的な“完璧”ではなく、多様性や個性、そして人間らしさにこそ価値が置かれるようになるのではないでしょうか。
私自身が大好きな、バレエの中に宿る「人間らしさ」。それがこれからもっと大切にされていく未来を、私は心から楽しみにしています。
活動について
私が一番好きなのは、物語のあるクラシック・バレエを踊ることです。クラシックの技術と、役柄を生きるように演じるドラマ性を融合させられる瞬間に、大きな喜びを感じます。音楽性や動きの質を追求しながら、細やかなニュアンスを表現していく作業は、私にとって何よりも楽しい時間ですし、たぶんそれが自分の強みではないかと(願わくば)思っています。
私にとって一番大切なこと
私は、バレエには人の心を深く揺さぶる力があると信じています。ダンサーとしての目標は、観客の皆さんにその力を感じていただき、物語の世界に入り込み、しばし現実を忘れていただくことです。劇場を後にするときに、心に残る感動を持ち帰っていただけるように——それが私の願いです。
キャニオン・コンサート・バレエの素晴らしい芸術監督マイケルと一緒に仕事ができていることは、私にとって本当に幸運です。彼もまたバレエの深い芸術性を大切にしていて、心から感謝しています。


Image Credits
Coyuki Ballet Photo
Emily Begum
掲載サイト August 19, 2025:Voyage Denver magazine