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とことんコロラドライフ 2002年12月号

日本人嫌い

image彼女と出会ったのはESLのクラスの初日であった。簡単な自己紹介があり、私を含め日本人の名前もいくつかあった。

彼女の番になると「私のことはミッシェルと呼んで」と自己紹介していた。 中国人などは自分の名前をアメリカ風につけかえることが多い。雰囲気は日本人っぽいけれど違うんだ・・。 中国か?台湾か?どこだろう・・とふと思う私だった。

ある日、「Michael, Where are you from?」と尋ねた私に思わぬ返事が返ってきた。

「I'm from Japan.」

「え、え〜っ?なーんだ。どうしてミッシェルなの?」

と私は日本語で話かけた。

「ミチコなんですけど、アメリカ人はうまく言えないからミッシェルにしてるんです。」 ところで・・と彼女は私に宣言した。

「これからは日本語では私に話しかけないでくださいね。私たち英語を習いに来てるんでしょ?日本語喋ったら意味ないから・・。よろしくお願いします。」

そう言って、彼女は横のクラスメートと英語で話し出した。

き、きびし〜。でもそれくらいしないと英語などうまくなるはずもないだろう。尊敬と驚きの入り混じる複雑な思いで彼女を見つめる私だった。

何ヶ月も経つ頃には、クラスの雰囲気もなじんできた。相変わらずミッシェルは日本語で話しかけられても英語で答えている。 英語のレベルはそれほどでもないので、会話がかみあわず、だんだん日本人のなかから浮いてしまうようになった。

ミッシェルを除いた奥さまたちは次第に仲良くなり、クラスの後は校内のカフェで食事をするようになった。

「何もあそこまでしなくてもね〜」と一人の奥さまが漏らした。

「彼女、会社の他の奥さんとも全然付き合いないらしいわよ。アメリカ人としか付き合いたくないんだって・・」 噂話は延々と続いた。

「とにかく変わりものらしいわ・・。子供は絶対バイリンガルにさせるって、家でも一切日本語を喋らないらしいよ」 「え〜っ?家族全員日本人で?」 「うん、子供にも日本人とつきあうと英語が下手になるからつきあうなって言ってるらしい。」 「す、すごーい」

一同はため息をもらした。確かに子供には英語がうまくなって欲しいだろうが、しょせん駐在である。いつかは日本に帰らなければならないのだ。その時はどうするのだろう。

1年が過ぎESLのクラスは終わることになった。教室を出て車に向かっていると、ミッシェルが私に話しかけてきた。

「あの・・、良かったら家にお茶でも飲みに来ませんか?」

日本語である。とまどいながらも興味半分で誘いに応じる私であった。 彼女の家でとりとめもない話をしていると、ミッシェルがぽつりとつぶやいた。

「やっぱり日本語って楽ですね・・」

そりゃそうだろう。何十年も日本語を喋っている私たちなのだ。アメリカに来たからと言って、突然英語が喋れるわけがない。

「駐在して私絶対英語をマスターしてやるって決めてたんですよ。アメリカ人のお友達も絶対作ってって・・。でも・・」 そう言って寂しげに続けた。

「アメリカ人と喋っててもどこか通じ合えないというか。ほんとには仲良くなれないんですよね。子供はどんどん英語がうまくなって・・。私の英語を馬鹿にするんです。友達にも恥ずかしいから電話もとるなって言われて・・。
難しい話になって日本語で喋って、って頼んだら、前は日本語喋るなって言ったじゃないか!今更そんなこと言うなっ!って怒るんです・・。もうどうしたらいいか・・」

その後、ミッシェルは1年分のストレスを吐き出すかのように日本語をまくしたてた。 今まで守ってきた信念が崩れていくのを感じているようであった。恐らく彼女はアメリカに住むと聞いたときに理想の自分を作り上げていたのだろう。英語を自由に使い、アメリカ人のお友達が遊びに来る国際的な家庭。

しかし、現実はきびしい。たいていの母親は働いていて、平日の昼間から英語もろくに話せない日本人の家にわざわざ遊びにくるアメリカ人はそうたくさんはいない。 ミッシェルもようやくそれに気付いて、日本人とも付き合うことを考えているようであった。

しかし、一度ついた「日本人嫌い」のレッテルはそう簡単には外すことはできない。自分から日本人に接触しようとしても、他の日本人から何かに誘われることはまったくなかったのだった。

もちろん、日本人以外の人と付き合うことは、大切だしおもしろい経験である。しかし、ミッシェルの場合は不自然に日本人との関わりを絶ってしまったために、結局は自分の世界を狭めることになってしまった。そういうのを国際化と呼ぶことはできないだろう。今更どうしたらいいかと問われてもどうにも答えられない私だった・・。

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